「年相応」はあなたの可能性を狭めます。何でも始めてみることが大切です
30代の妻が何事にも意欲的です。子供が産まれてからというもの、
- 簿記の資格取得
- Webサイト作成
- 英会話
- そして勿論子育て
といった感じで頑張りたいことが沢山出てきた様です。これまで経験が無く、どれも初めてな事なのですが、側で見ているとやる気に満ち溢れていて素晴らしいなと感じています。しかし、妻が友人にこれから始めよう、頑張ろうと思っていることを話した際に「年相応じゃない。今から始めるのは遅い」の様な意見が返って来たそうです。
この「年相応」「今から始めるのは遅い」という言葉の根拠はどこからやってくるものなのでしょうか?この言葉で日本市場はどれだけの可能性を閉ざしているのか、、、気になったので考えてみます。
目次
固定概念の塊
「自分の周りがそうだから」「自分の人生を否定したくないから」等として、相手にも気持ちを押し付けている場合があります。多くの人はは小・中・高と学生時代の中で集団行動を経験していますから、皆と同じで右に習えだと安心します。結果新しいことに挑戦できなくなります。
リスクについて
新しいことを始めるにはリスクが伴うとして、否定されることもあります。「工事現場などの体力仕事を70歳から始める」とかだと、物理的・体力的なリスクもあるかもしれません。しかし資格を取る・情報発信等、頭を使ってやれることは沢山あります。それすらも否定されてしまう。このリスクという言葉も大抵は「未経験な感覚」によるものだと感じています。
82歳のアプリ開発者
82歳でアプリ開発「老後の準備なんて無意味ね」:日経ビジネス電子版
日経にも取り上げらえて話題になっていますが、人としての可能性を感じます。プログラミングの勉強も定年退職後だそうです。アプリ開発は頭を使いますし、キーボード入力は指先もよく使いボケ防止にもなり一石二鳥。僕もこんなおばあちゃんみたいになれる様、ゲーム開発を続けていける様努力し続けます。それに、加齢による「記憶」の低下もそれが得意なコンピュータに任せてしまえば良いでしょう。「忘れて良いものは忘れてしまえば良い」精神です。
チャレンジし続ける人は若い
社会人になり月日が経ち同窓会で学生時代の仲間に合うと「歳の割に見た目がかなり若い人」を見かけることがあります。こういう人って好奇心が強く「面白いものは面白い!」と子供の様な純粋な気持ちでいられる人が多い様に感じます。好奇心とバイタリティを兼ね備え、かつ知識を付けた大人は何よりも強く、見ているこちらも若さを貰えます。
あなたの人生なのだから、他人の意見もほどほどに
年相応という言葉は「自身と比較」して出てくる言葉の様に感じますし、きっとそんな貴方を羨ましいと感じているのかもしれませんね。あなたの人生はあなたの人生なのだから「他人の意見」に振り回されずに核を持った行動をし続けていきたいですね。
それに、私の辞書に「年相応」なんて言葉は無いので、これからも妻を応援し続けていきたいと思います。